テオドール・ジェリコー(Theodore Gericault)

ロマン主義
1791年9月26日‐1824年1月26日
19世紀前半に競走馬や兵士の絵画を多く描いたジェリコーは、19世紀後半のモネやルノワールのような華やかな絵画ではなく、古典的な手法で絵を描いた画家として知られています。斬新な新しさや華やかさはありませんが、こまかくていねいにかかれたジェリコーの絵画は、現代でも人々に愛されています。特に馬の絵を多く残したジェリコーは、やはり馬が好きな人だったのでしょうか。学校ではあまりジェリコーの絵について勉強することはないかもしれません。ここで、ジェリコーという画家について少しでも覚えていってくださいね。

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ジェリコーのプロフィール
18世紀末の1791年、北フランスのルーアンの裕福な家の子供としてジェリコーはうまれ、5歳に家族でパリに移住しています。10代のころから画家になることを目指していたジェリコーは、何人かの画家の師のもとで絵画の勉強をしますが、満足することができずにルーブル美術館でルーベンスなどの昔の巨匠と呼ばれる画家を師として、絵画から学び続けました。
21歳のころにはサロンに入選していますが、このときも馬がモチーフになった作品を出品しています。その後、イタリアに渡り、イタリアの巨匠たちの人物の描き方を学び、馬以外の絵画を描きました。その手法を取り入れた作品は、実際にあった事件をもとにして描いたものですが、政治的な面で批判されてしまいます。
それがイヤになったジェリコーはその作品をもってイギリスに渡り、イギリスで好評価をえました。1820年から1822年までイギリスに滞在し、好きだった馬の絵画を制作します。
その後、フランスに戻ったジェリコーは精神障害者をモデルにした絵画の連絡を発表しました。1923年、ジェリコーは自分でも乗馬をしていたときに2度落馬し、それがもとで1924年に32歳でこの世を去りました。
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ジェリコーの絵画の特徴
ジェリコーは、古典主義を基本にした作品が多いのですが、彼自身は宗教画や神話を描いた作品は好みませんでした。現実社会を描くことにこだわっていたのです。人間の本質をみつめ、人物や動物の一瞬の動きを写実的に表現していったのです。
その一方で、馬が走っている作品は、実際の馬の走り方とは違う描き方をしています。それは、実物の描写よりも、馬の躍動感を表現することを優先したためです。ジェリコーの絵画の作品の一部には、印象派の手法も取り入れられています。
ジェリコーの有名な絵画
32歳でこの世を去っているジェリコーは作品数もあまり多くはありません。その中でも有名な絵画を紹介しましょう。
メデューズ号の筏(いかだ)
メデューズ号の筏(いかだ) – ジェリコー
この作品は、実際にあった船の事故を元に描かれています。イタリアからの帰国後の作品で、新たな人物の描き方に挑戦しています。ジェリコーはこの作品を制作するにあたり、事故の生存者の話を聞き、病人の肌の様子をスケッチもしてリアリティーを追求したのです。ルーブル美術館にあります。
エプソンの競馬
エプソンの競馬 – ジェリコー
ジェリコーがイギリスにいたときに描かれた作品です。馬の疾走する躍動感を表しているのですが、馬の足の動きは実際とは違うんですよ。これは、ジェリコーが間違えたので社なく、わざとそのように描いているのです。正しい馬の足の動きでは、馬の速さや躍動感をあらわすことができないとジェリコーが考えたためといわれています。この作品もルーブル美術館にあります。
馬を特に好んで描いたジェリコーは、走っていない馬の絵画も残しています。馬の気品の高さ、毛並みの美しさを見事に表現しています。ジェリコーの作品は、ドラクロワにも大きな影響を与えています。