ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)

象徴主義
1826年4月6日‐1898年4月18日
象徴主義は、印象派と同じ時期に発展してきました。その代表として知られているのがモローという画家です。象徴主義自体は、19世紀の後半から実践されるようになりましたから、モローは象徴主義の先がけともいえます。聖書や神話を題材にした作品が多いので、何も知らずにモローの作品を見ると、私たちにはわかりにくいかもしれません。ただ、とても綺麗な絵ということはわかりますよね。一生をかけて、歴史的なものを題材にした絵をかき続けたモローとは、どのような人物だったのでしょうか。

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モローのプロフィール
1826年、建築家の父と音楽家の母の子供としてパリにうまれました。芸術家の両親のもとでモローは8歳からデッサンを描くようになり、早くから絵画の才能をみせました。20歳で国立美術学校に入学しますが3年で退学し、ロマン派の画家のもとで修行をしていました。ドラクロワからも影響をうけています。
1852年にはサロンに『ピエタ』を出品し入選します。1857年にはイタリア留学し、イタリアの巨匠たちの模写をしています。そして同時に留学中に、イタリアでドガに出会います。
モローが画家として有名になったのは1864年にサロンに出品した『オイディプスとスフィンクス』という絵画です。この作品は、まだ考えが保守的だったサロンで賛否両論となりました。
1865年、1866年も続けてサロンに出品し、この頃からモローは画家として有名になっていったのです。1866年にサロンに出品した『オルフェルス(オルフェルスの首を抱くトラキアの娘)』は国家が買い取るほどにまでなったのです。
パリ万博にも絵画を出品したモローですが、1869年にサロンに出品した作品は、かなり批判されてしまい、それにショックを受けたモローはサロンへ絵画を出品しなくなり、1880年以降は完全に出品をやめてしまいました。
サロンから遠ざかっても、モローは画廊やパリ万博では個展や特別展示など注目され続けていました。
晩年は、自分の美術館を作るために自宅を改築し、また美術学校の教授をし、自分の絵画や技法を後世に伝えることを中心に活動したのです。
モローは1898年にパリでなくなりました。死後、モローの作品とアトリエは遺言どおりに国家に寄付され、モローが住んでいた自宅は美術館として現在も使われています。
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モネ
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ダヴィッド
モローの絵画の特徴
印象派がこれまでの絵画の技法とは全く違うことをしていた時代に、モローはサロンやアカデミーの考え方に忠実な技法で絵画を制作し続けました。題材も聖書やギリシャ・ローマの伝説が多く、神秘的な世界を描きつづけました。
モローの作品は、絵画でありながらとても文学的だともいわれています。
モローの有名な絵画
生前にアトリエに残っていたのは油絵が約800点、水彩画が575点、デッサンが約7000点と膨大な数を残しています。しかし、モローが公表していた絵画はそう多くありません。
オルフェルス(オルフェルスの首を抱くトラキアの娘)
オルフェルス(オルフェルスの首を抱くトラキアの娘) – モロー
神話を中心に描きつづけたモローの代表作品です。「女性が首を持っているシーン」と聞くと、残酷にも思えてしまいますよね。しかし、モローのこの作品はそのような感じは全くありません。神秘的な雰囲気がただよっているんです。女性が持っている首のデッサンはルーブル美術館にあるミケランジェロの石膏像がモデルになっています。オルセー美術館にあります。
出現
出現 – モロー
モローはサロメ(神話に出てくる女性)を題材にした作品を多く描いています。この絵画は同じ構図でタイトルも同じなのですが、油絵と水彩画の2種類があります。独創的なこの構図の作品は、油絵の『出現』がギュスターヴ・モロー美術館、水彩画がルーブル美術館にあります。
19世紀後半のパリの絵画の流れから見ると、モローの作品は時代遅れにみえていたかもしれません。しかし、モローは一生を通して歴史画の復興に取り組みつづけた画家でもありました。
モローの遺言のおかげで、モローの作品は世界中に散らばることなく、一ヶ所に集められています。歴史画でもありますが、日本でもファンが多い画家の一人です。